村上春樹の小説に登場するウィスキーを紹介する。
第五弾は「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
2013年に発刊された書き下ろし中編小説
主人公の多崎(たざき)つくるは三十六歳で二歳年上の彼女・木元沙羅とバーで話している。
高校の時に仲が良かった男女5人のグループについて。男が三人、女が二人。
つくる以外は名前に色が含まれていた。
二人の男子の苗字は赤松と青海(おうみ)、二人の女子の姓は白根(しらね)と黒埜(くろの)だった。
それぞれ「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」とお互いを呼び合った。
つくるはだたそのまま「つくる」と呼ばれた。
高校を卒業し、つくるだけが地元の名古屋から離れ、東京の大学へ進学した。
彼の夢であった「駅をつくる仕事」のためだ。
そして大学二年生の時にある日、色彩を持つ四人の友人たちから、我々はみんなもうお前とは顔を合わせたくないし、口をききたくもないと告げられた。きっぱりと、妥協の余地もなく唐突に。
あまりにもショックだった。理由を教えられるのも怖かった。
七月から翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた。
(5頁)
眠るべき時間が来ると、ウィスキーをまるで薬のように、小さなグラスに一杯だけ飲んだ。
ありがたいことにアルコールが強くなかったせいで、少量のウィスキーが彼を簡単に眠りの世界に運んでくれた。
バーでつくるの話を聞く沙羅。沙羅はなぜかつくるの高校時代の話を聞きたがった。
(19頁)
つくるは薄いハイボールを静かにすすりながら、沙羅の着ているワンピースを脱がせるところを頭の中にひそかに思い浮かべた。
これまで村上春樹の小説では「ウィスキーのソーダ割り」と表現されていたが、この頃の作品から「ハイボール」に変わっている。時代は移り行く。
会話は続く。
「どうしてあなたは東京に出て行く気になったの?」
「とても簡単な話だよ。駅舎建築の第一人者として知られている教授がその大学にいたんだ。駅の建築は特殊なもので、普通の建築物とは成り立ちが違うから、普通の工科系大学に進んで建築やら土木を学んでも、あまり実際の役には立たない。スペシャリストについて専門的に勉強する必要がある」
「限定された目的は人生を簡潔にする」と沙羅は言った。
物語は沙羅によって前へ進められる。
「どうして自分がそのグループから突然放り出されなくてはならなかったのか、その理由を知りたいとは思わなかったの?」
(36頁)
モヒートのグラスが空になっていた。彼女はバーテンダーに合図し、赤ワインのグラスを頼んだ。いくつかの選択肢の中から熟考の末にナパのカベルネ・ソーヴィニオンを選んだ。つくるのハイボールはまだ半分残っていた。氷が溶け、グラスのまわりには水滴がついて、紙のコースターは濡れて膨らんでいた。
お酒が弱い人はハイボールを飲むのも時間がかかる。このような状態ではまったく美味しくないので残すことになりそうだ。
「真相を知りたいとは思わなかったの?」
沙羅との食事は終わり、大学二年生の頃の回想に戻る。
ぎりぎり死ぬことから逃れ、灰田という二歳年下の友人と過ごす。
灰田の父親は若い頃に緑川というピアニストから不思議な話を聞かされる。
「その色を目にできる能力というのは、生まれつき具わっているものなのですか?」と灰田青年は半信半疑で尋ねた。
緑川は首を振った。「いや、生まれつきのものじゃなく、あくまで一時的な資格だ。それは差し迫った死を引き受けることと引き替えに与えられる。そして人から人へと引き継がれていく。その資格は今では俺に託されている」
物語のキーポイントとなる部分だろう。
つくるも差し迫った死を引き受けた。そして色を持つ友人がいた。
これがきっかけとなり、つくるは不思議な体験をする。灰田とクロとシロが登場する。
沙羅が四人のことを調べてきた。
そして四人を巡る旅に出ることになった。
アカとアオは名古屋にいた。
二人の話を聞き、なぜ友人関係を解消されたのかが分かってきた。
クロはフィンランドに移住していた。
「できるだけ早くフィンランドに行ってクロさんに会いなさい。そして正直に胸を開いて話をしなさい。彼女はきっと何か大事なことをあなたに教えてくれるはずよ。とても大事なことを。私にはそういう予感がある」
沙羅は言った。
つくるは駅からマンションまで一人で帰った。
(229頁)
棚からカティーサークの瓶を取り出し、小さなグラスに注いだ。
そして本のページを開いた。
村上春樹の小説にはカティサークが良く出る。緑色のボトルで黄色いラベルで帆船が描かれている。爽やかな味わい。
フィンランドに着く。
タクシー運転手のセリフが素敵だった。
「フィンランドまで鉄道駅をつくりに来たのかね?」
「いや、休暇をとって友だちに会いに来たんだ」
「それはいい」と運転手は言った。「休暇と友だちは、人生においてもっとも素晴らしい二つのものだ」
まさにそうだ。村上春樹の小説では名もない脇役がとても良いことを言う。
クロ(いまはエリ)と会う。シロ(いまはユズ)の話を聞く。
ようやくすべて受け入れることができた。
「ねえ、つくる、あの子は本当にいろんなところに生き続けているのよ」
「私にはそれが感じられる。私たちのまわりのありとあらゆる響きの中に、光の中に、形の中に、そしてありとあらゆる・・・・・」
つくるはずっと色彩を持たないことに劣等感を抱いて生きてきた。
「たとえ君が空っぽの容器だったとしても、それでいいじゃない」とエリは言った。
「もしそうだとしても、君はとても素敵な、心を惹かれる容器だよ。自分自身が何であるかなんて、そんなこと本当には誰にもわかりはしない。そう思わない?それなら君は、どこまでも美しいかたちの入れ物になればいいんだ。誰かが思わず中に何かを入れたくなるような、しっかり好感の持てる容器に」
このセリフがとても好きだ。勇気づけられる。人生で自信を無くしたときに思い出そう。
帰国して沙羅に電話越しで報告する。彼女に会いたい。
「君のことが本当に好きだし、心から君をほしいと思っている」
三日後に会うことを約束し、四人のことを思う。
(366頁)
つくるはカティサークのグラスを傾け、スコッチ・ウィスキーの香りを味わった。胃の奥がほんのりと熱くなった。
大学二年生の夏から冬にかけて、死ぬことばかり考えていた日々、毎晩こうして小さなグラスに一杯、ウィスキーを飲んだものだ。そうしないことにはうまく眠れなかった。
お酒の強くないつくるがウィスキーを飲んで、死を引き受けながら、生を待つ。
「すべてが時の流れに消えてしまったわけじゃないんだ」、それがつくるがフィンランドの湖の畔で、エリに別れ際に伝えるべきことーーーでもそのときには言葉にできなかったことだった。
「僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」
この小説はウィスキーを飲みながら読むとすごく染みる。