うちは3人兄弟(姉弟弟)で、末っ子は4歳児。
「魔の2歳児」という言葉がある。
1歳くらいで歩けるようになり、2歳になると喋れるようになる。
動きも活発になり「なんで?」が口癖になる。
常に遊びたがり、夕方になると不機嫌になり大声で泣きだす。
本当に苦労させられる。もう子育てなんか嫌だと心底思う。
でも2歳児は可愛さのピークでもあり、その可愛さのおかげで何とか乗り切れる。
だけど、僕の息子は4歳になっても「魔の2歳児」のまんまである。
常に遊びたがり、思い通りにならないとすぐに大声で泣きだす。
誰かカマってくれる人(主にママ、次にお姉ちゃん)のところに行き、慰めてもらうのというのが日常の光景だ。
この子はいつになったら落ち着くのだろう?とそろそろ心配になってきた。
そんな時、SNSでこんな記事を見つけた。
芥川賞作家の川上未映子さんが3歳8ヶ月の息子の育児について綴る「川上未映子のびんづめ日記」。ものすっごい共感してしまった!川上さんの作品はまだそんなに読んだことなかったけど今度読んでみよう。同い年やし親近感めっちゃわいた!
思っていたはずの、想像していたはずの段取りに不備が出たりすると、こう、感情が爆発するみたいな感じでもって、「ギャー」とシャウトして怒りみたいなのをあらわにするのだ。正直、最初のときはあまりの激しさに親なのに少し引いてしまったくらいだ。
おみかんの皮を剥いてあげたら自分が剥きたかったのに、というようなこともあれば、プラレールの電車の配置を勝手に触られた、とかでそうなるときもあった。でも、同じことをしてもまったく平気なときもある。わからない。ルールが見えない。
そう、 まさに、僕の息子もそうなんだ!
川上さんは保健師さんに教えてもらったアドバイスを実践したら”かんしゃく”が治ったというのだ。
少し勇気を出して保健師さんに相談してみることにした。「か、かんしゃくみたいなのを起こすことがあって、それがけっこう、いや、相当に激しめで……」。
保健師さんが「だーいじょうぶですよお」と明るく言ってくれたときは、ほっとして涙がにじんだことに自分でも少し驚いた。
保健師さんのアドバイスは続く、
「そういうとき、どうされてます?」
「どうして泣くの、なにが嫌だったの、って聞いても、さっぱりで……」
「そうですよね。でもお母さん、今度そうなったら、思いきって、放っておいてみてください」
「放っておく……?」
「そうです。その場からいなくなって、どんなに泣いても叫んでも、かまわないの。そしたらしばらくして、泣きながらだけど向こうからやってきます。そしたらそこで初めて抱っこしあげて、そしてここが大事なんですけど──抱っこしたら、もうその話はしないの」
「と、いうと……」
「もう、全然べつの話をするんです。まったく関係ない話。理由もきかない、もうだいじょうぶ? みたいなこともいっさいなし。さっき泣いたり叫んだりしたことと、この安心は関係がないってことをわかってもらうんです。それをくりかえすことによって、泣いても叫んでも、何にもならないってことがわかるんです」
「……わたし、『あんな叫んだら喉破けるで』とか『もうあんなんあかんで、救急車くるで』とか、抱っこしたあともけっこうねばねば言ってました……」
「そうそう。でも、なかったことにするの。そういう自分の行為が何にも影響しないんだなってわかるのが大事で、そうなると、だんだんなくなってきますよ」
これを読んでいて、小さい頃の自分を思い出した。次男だったので甘えん坊だった。次男という特性を活かして甘えまくっていた。そして、ことあるごとに泣いていた。でも4歳頃からいくら泣いてもあまり相手にされなくなった。ずっとほっとかれた。やがてヒックヒックなって泣くのが辛くなり、さらにずっとほっとかれるので構ってもらわずとも泣き止むようになった。泣くのが辛いということが分かると、泣き止むまでの時間が短くなり、やがてあまり泣かなくなった。泣くのが恥ずかしいとも思えるようになった。
薄々気づいていたんだ、僕の息子が泣いているときも。「ほっとけばいいのに」と。だから僕は基本的に息子が泣いててもほったらかしてた。でも、ママやお姉ちゃんのどちらかが耐えかねて良い子良い子してしまうのだ。だから「魔の2歳児」が続いてたのか!と納得した。
この話をママやお姉ちゃんにも共有し、協力してもらって、息子を「魔の2歳児」の呪縛から解き放とう。
この話をママに共有して、すぐに実践したらしい。
効果覿面だったとのこと。すごい!