学びと食、ときどきランニング

ウイスキーマエストロによるIdeas worth spreading

コミュニティに依存しない生き方

僕はいろんなコミュニティに属している。

 

いま働いている会社もそうだけど、TEDxKyotoやTEDxHimi、コーチングクラブ、ネオ社畜の会、などなど。もちろん家族というコミュニティも大事だ。

 

いろんなコミュニティの集まりにいってみて、いろいろと体験してみて感じていることがある。

 

それは、そこはかとない居心地の悪さだ。

 

もちろんそれぞれのコミュニティには良いところがたくさんある。

 

誰かが創設したコミュニティにはその人の魂のようなものが詰まっていて、創設者がいなくなってもその意志を引き継ぎ存続しているコミュニティもある。

 

でも、そんなコミュニティにも、コミュニティに依存しまくってる人ってのがいる。そのコミュニティを盲信しているというか、ゾッコンというか。とにかくそのコミュニティじゃないとダメ、そのコミュニティが無くなってしまうと自分も無くなってしまうんじゃないか、というような強迫観念にかられて必死に行動してしまう人だ。

そんな人をみると、ちょっと悲しくなってしまうし、僕はそうじゃないなぁと思ってしまう。

例えば、僕が何かのコミュニティを創ったとして、そこに属してくれる人が増えてきて、なんか僕が釈迦やキリストのように崇め奉られてしまうというのはまっぴら御免だ。まぁそんなことは99%ないだろうけど。

 

僕の考え方を押しつける訳じゃ全然ないけど、最近のいろんなコミュニティの動きをみてると、これからは「ゆるーいコミュニティ」ってのがどんどん増えていくような気がする。ゆるーいコミュニティってのは誰が創ったのかよく分かんないけど、そこにいるだけで何か居心地がよくて、それぞれの人が個性を発揮して、お互いを助け合ってる。そんな共生のような関係というのが自然なんじゃないだろうか。

 

僕が最近、興味を持っている腸内細菌のことを調べているうちに、そう思った。

 

 

 

 

「さいきん」と打つと細菌が最初に変換されるくらい興味をもって調べているよ。