ザックのプレゼンを聞いて思ったことを書き連ねてみる。
最期のメッセージを聞いて思った。
The son does not have to follow the ways of his father.
I am not my father.
息子だからといって、父親のやり方に従う必要はありません。
私は父ではないのですから
僕は父親として正しい道を歩んでいるのだろうか?
息子に間違った道を説いていないだろうか?
僕は自由奔放に生きている。たまに家族をないがしろにする。
そして勝手に傷つき、うつになり、死にそうになる。
そんな僕は息子に何を残せているだろうか?
彼により良い人生を歩ませることができるだろうか?
まだ答えは見つからない。
でも、これだけは教えたいと思う。
差別はなくせるのだということを。
僕は子供のころ、田舎に住んでいた。
小さな村だった。
僕のばあちゃんから「あそこに行ってはダメだよ」といつも言われていた隣村があった。
同和地区だった。被差別部落というところだった。
なぜダメなんだろう?という疑問は解消されないまま、
小学校へ行き、中学校へ行った。
同和地区の子たちとも同じクラスになり、やがて彼らと一緒に遊ぶようになった。
中学の頃は毎日、同和地区にあるゲーセンでその村の子と遊んでいた。
楽しかった。子供だけの世界だった。大人は登場しなかった。
ある時、歴史の授業で「穢多(えた)・非人(ひにん)」という言葉を知った。前近代の頃からの賎民の差別的な呼称だった。
先生は詳しく教えてくれなかったけど、僕は直感的に現在の同和地区のことだと分かった。
その授業の後、同和地区の友達が、別の地区の友達のことを「エタ、ヒニン〜」とからかっていた。彼は理解していなかったけど、自分たちの過去の蔑称だと知ったらショックだろうなと悲しくなった。
高校に入って、道徳の授業の時に、差別問題について書かされた。
「差別教育なんてして欲しくない。知らなければ差別なんてしないのに」
という感想を書いたら教師に呼び出しをくらって怒られた。
同和地区がエタ・ヒニンということを知った時のショックを伝えたかったのだけど、うまく言葉が出なかった。面倒臭くなってふて腐れながら謝罪した。
大人たちは差別をする。
子供達はもともと純粋なのに、大人たちに影響されて差別する。
僕はその頃から、差別に関しては大人の意見は聞かず、自分の信じる道を進もうと思った。
差別には怒りを感じる。
過去の歴史上、蔑まれていたとしても、その子孫は何も悪くない。
なのに、偏見は語り継がれ、次なる偏見を生む。
誰かが偏見の鎖を断ち切らなければいけない。
だとしたら僕が断ち切ろう。
しっかりと歴史の認識をした上で、
目の前の人を偏見のない目で見よう。
ザックがユダヤ人と友達になって変わったように、
あなたも変われるはずだから。
そう息子に伝えよう。