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学びと食、ときどきランニング

ウイスキーマエストロによるIdeas worth spreading

多動性の5歳の息子が車に轢かれたことを想像して、40歳のお父さんは何を考るのか?

僕には子どもが3人いる。

 

中学一年生の娘、いわゆるJC1と、

小学五年生の息子、

そして、年中さんの5歳の息子である。

 

娘と長男は手がかからなかった。

特に長男は気付いたら小学生になってたほどだ。

 

しかし、5歳の息子は違う。

魔の2歳児が3年続いている。

魔の5歳児である。

 

僕がご飯を作ってもハンバーグとカレー以外は「何これ気持ち悪!」って言って食べない。

夜なかなか寝ない。

ママに「家の中で走るのやめて!」と1日10回は言われる。

一緒にボードゲームしててもすぐに飽きて回りを走り出す。

近くの踏み台に乗ってジャンプする。

走る、踏み台に登る、ジャンプして降りるを延々と繰り返す。

やがて踏み台から足を踏み外して、お尻を強打して、泣き出す。

「ママ〜」ってすぐ言う。

 

ようするに多動性である。

ようするに面倒くさい。

 

近所のスーパーに買い物に行くので「はるも行く?」と声をかけた。

 

(ちなみに僕は村上春樹が好きなので息子にハルキという名前をつけた。漢字は違うけど。普段は”はる”と呼んでいる。)

 

「うん。はるくんも行くー」

 

(ちなみに息子は自分のことを”はるくん”と呼んでいる)

 

「自転車で行く?」

 

「え?はるくんも?」

 

「はるくんも、というか、はるくんが。パパは歩いて行くし」

 

「うん。はるくんは自転車で行くー」

 

駐輪場で、はるは補助輪付きの自転車を取り出している。娘のおさがりの自転車だ。

タイヤが太いので自転車置きのレールに引っかかり、なかなか出せない。

僕はそれをただ見ている。

手を出せば「はるくんが一人でやるの!」とキレるのを経験上知っているからだ。

 

ようやく自転車を取り出し、はるは自転車に乗り、僕はその後ろを歩いた。

 

10mほど行ったところで、

「やっぱり自転車で行かない」と言いだした。

「じゃあ止めれば」

自転車をレールに戻すのは手伝ってあげた。

 

自転車を戻したら、はるは走り出した。元気よく走り出した。

 

僕はゆっくり歩きながら見ていた。

 

ジグザグに走るはる。

 

こっちに走って戻って来るはる。

 

そんなはるを見ながら、無駄なエネルギーは消費すべきだなぁとぼんやり考えていた。

 

横断歩道に差し掛かり、5mほど前を小走りしていたはるが、

「渡っていい?」と聞いてきた。

 

青信号になったばかりなので、

「いいよ」と答えた。

 

はるは走って横断歩道を渡ろうとしていた。

 

僕は5mほど後ろを歩いていた。

 

右斜め前方に白いステップワゴンが右折しようとしてるのが視界に入った。

 

このままステップワゴンの運転手が僕の息子に気付かずに右折したら、確実に轢かれる。そう思った。

 

しかし、息子は横断歩道の直前で立ち止まり、車も急ブレーキを踏んだ。

 

僕はその様子をさして焦ることなく眺めていた。

 

もし、息子が車に轢かれていたら?

 

横断歩道で、しかも青信号で渡っている歩行者を轢いたら100:0で車が悪い。

慰謝料はいくらもらえるのかな?

息子が車に轢かれて死んでしまったら、僕は咄嗟の行動をしなかったことを後悔するのだろうか?いや、しないだろう。なぜなら、僕は最近、人の生死にそれほど固執していないから。それがたとえ息子の死であっても、ただ受け入れると思う。それが息子の寿命だと受け入れると思う。

しかし、嫁は僕を責めるだろう。「なんで目を離したの!」と泣き崩れるだろう。それはそれで面倒だな。

そんなこと30秒くらいでぼけっと考えた。

 

しかし、現実には息子は車に轢かれていない。

 

その後、買い物でも僕のそばには寄りつかず、勝手に店内を歩き回り、パンが買いたいと言い、買ってあげたパンは半分残し、昼食後に嫁と公園で2時間ほど縄跳びをし、晩御飯の時間に寝てしまい、みんなが晩御飯を食べ終わった後に起き出したものの、晩御飯は食べず、僕の目の前でバナナを食べ、そして半分残している。

 

そのバナナを僕は一口大にカットして、ラップに包んで冷凍するだろう。

 

それが、バナナにとってはいいことだと思うから。