上橋菜穂子の「鹿の王」を読んだ。
生き残っていく者
還って行く者
3つのストーリーが紡がれていると思った。
<病><取り落とし><共生>
プロローグで語られた言葉が全てを物語っていると思う。
<病>と<共生>については幼き日のホッサルが祖父から語られた言葉に集約されている。
生き物はみな、病の種を身に潜ませて生きている。身に抱いているそいつに負けなければ生きていられるが、負ければ死ぬ。
人は毎日いろいろなものを食べている。他の生命を体内に受け入れ、生きる糧とする。
食中毒など、毒素を出すものを入れてしまえば病気になる。
逆に薬を飲んだり注射したりすれば病に打ち克つ助けになる。
薬が効かない場合もある。薬の副作用で死ぬ場合もある。
何を受け入れ、何と戦うか?
日々考え、行動する。
人という生命単体でなく、組織という生命の集合体についても同じようなことが言える。
外部から来た人を受け入れるか?
受け入れた場合に享受するものと、排除した場合に起きる弊害。
何を持って受け入れ、排除すると判断するのか?それは一人一人の価値観による。
家族でなくても、血は繋がっていなくても、受け入れ、家族のようになれる。
戦争で土地を奪われた人は恨みを抱き、あらたな戦の火種となる。
そしてもう1つの<取り落とし>は主人公ヴァンが過去に所属した戦士団<独角>の勲しの歌が表現している。
我が槍は 光る枝角
恐れを知らぬ 不羈(ふき)の角
背には 我が仔
低く構えし この角は 弱き命の盾なるぞ
<独角>の戦士たちは飛鹿(ピユイカ)と呼ばれる俊敏な鹿に乗り、
仲間の命を輝かせるために己の命を燃やし、善く生き切ることを誓っている。
そして、それは飛鹿の世界でも同じ。
ヴァンは十五の時に父から<鹿の王>の話を聞いた。
<鹿の王>は我が身を賭して、群れを守る鹿のことだ。
飛鹿は足が速いし、断崖絶壁にも強いから、めったに狼や山犬なぞにやられることはない。それでもな、平地で狼や山犬に襲われると、追われて走るうちに仔鹿が遅れてしまうことがある。
そんなとき、群れの中から、一頭の牡鹿がぴょん、と躍りでて、天敵と向かい合ったのを見たことがある。もう若くもない、いい歳の牡が、そんなことをした。
群れはどんどん逃げて行く。逃げ去って行く群れを背にして、その牡鹿は、ひとり狼たちの前に立ち、まるで挑発するように、跳ね踊った。
<独角>と<鹿の王>
仲間を守るために自分の生命を差し出す。
このアナロジーは白血球を思い起こさせる。
白血球も外部からばい菌が侵入してきたらそれらを取り込み、自分も死ぬ。
病は外部からの侵入者に負けたことを意味する。
しかし、病の素となった者たちと共生できれば生き残れる。
あるいは、自分の一部を差し出し、切り捨てれば生き残れる。
どちらを選ぶか?
そんな問いを投げかけられた本だった。