モヒートとフローズンダイキリが飲みたくなる。
夏の暑い日にそれらを飲みながら、木陰でくつろいでじっくり読みたい。
今日は母の日。
カーネーションを一輪買って、息子に「今日は母の日だからママに渡しておいで」と言って渡した。
息子は喜んでママに駆け寄り、カーネーションを渡した。
「ありがとー」と妻はハグをしていた。
花瓶に活けるため、茎をカットしたらしく、それを息子はペン回しのように回していた。お兄ちゃんがペン回しにハマっているから。
「花はどうしたの?」と息子に聞くと、
「机の上にあるよ」と言われた。
息子にとってはカーネーションはママの代わりなのだろうか?
僕の母は2006年に亡くなった。享年56歳だった。
脳出血で、寝てる間に亡くなった。
亡くなるちょっと前には、私の娘の七五三のお祝いをしてくれた。
そのときに撮った写真はいまも娘の机に飾られている。
母との思い出を振り返る。
いくつになっても無邪気なお母さんだった。
娘が生まれたタイミングでビデオカメラを買ってくれ、そのビデオカメラで娘を撮っていると、お母さんがやってきて、どじょうの話をした。
「すぐそこの溝にどじょうがおったんよ。つかまえようっち思ったけど、パーっち逃げたんよねー」
「ふーん」
そんなくだらない会話をいつもしていた。
お母さんは優しかった。
幼稚園のころはパートで忙しかったけど、僕が寂しがってたら、パートに行くのをやめて内職に切り替えてくれた。
昆布屋で働いてたけど、電気工事用のコネクタづくりの内職に切り替えてくれた。
お母さんの料理はおいしかった。
たまに失敗するけど、筍の煮たやつはいまでも思い出す。ほっこりする。
高校生の食べ盛りの頃はパンをいつも焼いてくれた。ハムとチーズ入りのロールパンが好きだった。晩ごはんを食べたあとに、いつもお母さんが焼いてくれたパンを2個、牛乳2本と一緒に食べていたなぁ。
お母さんはお父さんと仲がよかった。
よく二人で海釣りにでかけていた。カワハギをたくさん釣ってきて、二人で楽しそうに捌いてた。カワハギの寿司が美味しかった。カワハギの肝の軍艦が美味しかった。
お父さんはお母さんを愛していた。
こないだ十三回忌を終えたけど、墓はいつもきれいだ。お父さんが毎日お掃除しているのだろう。お父さんはいま独身のお兄ちゃんとオスの犬と暮らしている。すこし寂しいかもしれないけど、楽しく余生を過ごして欲しい。
お母さんは今でも僕の心の中にいます。
ありがとう。
西加奈子「ふくわらい」
第1回河合隼雄物語賞 受賞作
選考委員のひとり、上橋菜穂子はこのように選評した。
「物語としてしか命を持ちえない作品」
物語が命をもつ、というのは、
これしかない、と思い込んでいた世界の姿が、その物語を読むことで、ぱっと吹き飛ばされ、ペラペラと紙吹雪に変わり、やがて、再び、ゆっくりと戻ってきて、もとの世界の姿をつくっていくのを見る。
そのとき、ああ、そうか、そうだったのか、という気づきが、新鮮な感動とともに、心に広がって行く。
と上橋菜穂子は解説する。
「ふくわらい」には主人公の定(さだ)だけでなく、彼女の周りに魅力的な人々が登場する。そして、定をより魅力的に変えていく。
私は守口廃尊(もりぐちばいそん)が特に好きだ。
守口廃尊は1965年生まれ、1984年、プロレスデビュー。
1986年、蝶野や橋本、武藤ら同年デビューのレスラーと共にアメリカ武者修行、ヒールとして戦う。
帰国後、鬱病となり、自殺未遂や入退院を繰り返し、新日本プロレスを解雇され、いまは小さなプロレス団体でリングに立ちながら、週刊雑誌のコラム執筆を5年ほど続けている。
生い立ちや背景は「リアル」に登場する脊損プロレスラー・スコーピオン白鳥と似通っている。
そんな守口廃尊が試合後に語った言葉が響いた。とてつもなく。
おいらはプロレスラーだ。
だが、こんな風に売文もしている。
本当は、言葉が怖い。
言葉をうまく組み合わせないといけない社会が怖い。
でも、頼らずにはおれない。
おいらには言いたいことがたくさんあった。
猪木さんになりたかった。
ずっと猪木さんみたいになりたかった。
でもなれなかった。
天才にはどうしたってなれねぇ。
でも、おいらには、これしかない。
猪木さんの背中すら見えない、
足跡すらかすんでいる、
そんな道で、
でもおいらは、
やるしかないんだ。
だって、おいらはプロレスが好きなんだ。
プロレスに好かれていなくても、
おいらはプロレスが好きなんだ。
そしてそんな俺が、俺なんだ。
猪木さんじゃねぇ。俺なんだ。
俺は死ぬまでプロレスをやる。
そしてその決意を、こうして言葉にする。
おいらは体も、言葉も好きだ。
それって何だ、
わからねぇけど、
ほとんど生きてるってことじゃねぇのか。
おいらが生きてゆくってことじゃねぇのか。
生きてるんだから、
おいらは好きなことをする。
生きるのが終わるまで、
好きなことをする。
体も、言葉も、好きなことをする。
生きるのが終わるまで。
西加奈子の紡ぐ言葉は力強い。生に満ち溢れている。