学びと食、ときどきランニング

ウイスキーマエストロによるIdeas worth spreading

7日間ブックカバーチャレンジ文庫編1日目「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」

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「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」は村上春樹のエッセイ。

奥さんと二人でアイラ島アイルランドを巡り、村上春樹は文章を書き、奥さんは写真を撮った。

僕がウイスキーエキスパートを取得するきっかけとなった本である。

 

アイラ島

シングル・モルト聖地巡礼

 

当時のボウモア蒸留所のマネージャだったジム・マッキュワン(いまはブルイックラディのプロダクション・ディレクター)に案内され、フロアモルティングを体験したり、生牡蠣にウイスキーをかける食べ方を教えてもらったり、町外れで球転がし遊びに興じる。

 

ジムの明言はたくさんある。すべてを拾い上げてはキリがないので、ひとつだけ厳選する。

ウイスキー造りを僕が好きなのは、

それが本質的にロマンチックな仕事だからだ

 

僕がこうして作っているウイスキーが世の中に出ていくとき、あるいは僕はもうこの世にはいないかもしれない。

しかしそれは僕が造ったものなんだ。

そういうのって素敵なことだと思わないか?

はい。素敵です。はい。素敵です。

 

 

タラモア・デュー

ロスクレアのパブで、

その老人によって

どのように

飲まれていたか?

 

アイルランドではレンタカーを借り、のんびりと田舎を旅する。

ああ、アイルランドの緑はなんと鮮やかで、

なんと広く、

なんと深かったのだろう

 と溜息をついて思い返すらしい。

 

とくに宿も定めずに、行き当たりばったりで、良さそうな宿をみつけて泊まる。

近所においしそうなレストランなりパブがあれば、

そこに行ってビールを飲み、夕食を食べる。

食前か食後に一杯(二杯でもいいけれど)アイリッシュウイスキーを飲む。

 

ロクスレアというアイルランド中部の小さな町、ホテルの近くのパブに入る。

夜の九時くらい。

店はとても混み合っている。

カウンターでブッシュミルズを注文する。

グラスにたっぷりとダブルではいって出てくる。

そのとなりには、小さな水差しに入った水がついてくる。

もちろんタップ・ウォーター(水道水)だ。

ミネラル・ウォーターなどという無粋なものは出てこない。

タップ・ウォーターのほうが生き生きとして、ずっとうまいのだから。

 

半分はストレートで飲む。

それからひと息置いてグラスに水を加える。

グラスをぐるりと大きくまわしてやる。

澄んだ水と、美しい琥珀の液体がゆっくりと溶けあっていく。

そしてまたグラスを傾ける。

 

やがて、七十歳くらいの男が一人で店に入ってくる。

白髪で、きちんと背広を着こみ、ネクタイを結んでいる。

カウンターに片手を載せ、バーテンダーを見る。

バーテンダーと目が合うと、ポケットからコインを出してカウンターの上に並べる。

カチンという気持ちの良い音がする。

 

バーテンダーは微笑み、タラモア・デューをグラスに注ぎ、紙のコースターと共に老人の前に置く。

 

老人はウイスキー・グラスを手に取り、静かに口に運ぶ。

 

おおよそ十二分かけて老人はそのウイスキーを飲む。

ひとくち飲んでは何かを考え、またひとくち飲んでは何かをじっと考える。

やがてグラスは飲み干される。

カウンターの上に置いてあった左腕をおもむろに回収し、足早に店を出る。

 

もう何年も同じことをしているのだろう。彼が何を生業にしているのかは分からない。ただ彼がとてもくつろいでいることだけは分かる。

 

そういうウイスキーの飲み方もあっていい。

 

もし僕らのことばがウイスキーであったなら、

僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。

 

とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。

 

しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。

 

僕らはすべてのものごとを、

何かべつの素面のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。

 

でも例外的に、

ほんのわずかな幸福な瞬間に、

僕らのことばは本当にウイスキーになることがある。

 

そして僕らは

いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。

 

もし僕らのことばがウイスキーであったなら、と。

 

とりあえず、僕の世界一美味しいハイボールを飲んでみてください。すべてはそこから始まる。