私が彼女と初めて会ったのは、おじいちゃんのお葬式の時だった。
初めて身近な人が亡くなり、初めてのお葬式だった。
その頃の私は大学4年生で、研究室に配属された直後だった。
おじいちゃんは朝起きたら亡くなっていたそう。脳溢血だった。
お酒の好きなおじいちゃんだった。
お通夜やお葬式ではたくさんの親戚が集まった。お通夜はみんなで酒を飲み明かし、楽しくワイワイと送り出した。
お葬式はおじいちゃん家で行い、普段あまり会わない親戚の人ともお話をした。
お母さんの従姉妹のおばちゃんとはこれまで何度か話したことある。とてもかわいいおばちゃんだった。おばちゃんとお母さんと私の3人で話していると、
「こんど長女が宝塚音楽学校に入るんよ」とおばちゃんが言った。
「ほらあそこの」と指をさした先に彼女がいた。
ちょうど妹と二人でお焼香をしているところだった。
明らかに他の人とオーラが違った。凛とした佇まい。所作がひとつひとつ美しい。
宝塚のことはよく知らなかったけど、なんか凄そう!と思った。
「夢のつかみ方、挑戦し続ける力」第1章では、その彼女・ちぎたまみこさんが早霧せいなになるべく、宝塚に入るまでのストーリーが書かれている。
私が彼女を初めて見たときは、ちょうど宝塚音楽学校の入学が決まった直後だったようだ。
でも、それまでにも2度の不合格を経験し、ラストチャンスで合格したんだなぁ。
14歳で宝塚に出会い、10年後の自分に手紙を書いている。
この前、始めて、雪組公演の「風と共に去りぬ」をみました。
心のそこから楽しみにしていました。見てとても感動したし、それをみてから、本当に悩んでいます。
相談する人がいなくて、10年後の私に相談しています。
もし、あなたがまだ宝塚を目指しているか、入っているのなら、自分をほめて下さい。
そして、途中であきらめているか、他の仕事をしているのなら、あなたはこのことを一生後悔すると思いますよ。
私はこれから宝塚について調べて、がんばります。
あなたも、この手紙をはげみにがんばって下さい。
そこから夢に突き進み、悩みながらも夢を叶えた。
私は陰ながら、彼女をずっと応援していた。
ただ一度見ただけ、話したことはないけど。
彼女が宙組に入団したこと、宙組から雪組に組替えしたこともお母さんから教えてもらったり、新聞で読んだりして一喜一憂していた。
雪組で2番手になった頃はスポーツ新聞で大きく取り上げられていたので会社のみんなに自慢した。
やがて、雪組のトップスターになった。とても嬉しかった。
最初の公演が「ルパン三世」だったので、男の私でも観に行けるかな?と、勇気を出して初めて宝塚大劇場へ観に行った。
宝塚大劇場はきらびやかで、キラキラした女性ばかりいた。でも、女性と一緒にわずかばかりの男性もいたので、少し安心した。
2階席の真ん中あたりに座った。
遠目にステージが見える。
オーケストラが舞台のすぐそばにいる。生演奏なんだ!
初めて観る早霧せいなは輝いていた。
ルパン三世のコミカルな演技が板についていた。次元や五右衛門、不二子ちゃんや銭形のとっつあんを演じる他の役者との息もぴったり。とても楽しく観劇できた。
その後のショーもすごかった。大きな踊り。舞台演出家の小池先生に褒められた大きな踊り。男役としては小柄な168cmというコンプレックスを乗り越えて、生き生きとしている。
最後の大階段から大羽根を背負って出てきたときはちょっと泣いてしまった。うわぁって。
そこから3年間、彼女が退団するまで何度も宝塚大劇場へ観劇しに行った。
次の公演の「星逢一夜/La Esmeralda」は娘と一緒に観に行った。
その次の「るろうに剣心」はもうメロメロ。
scotchhayama.hatenablog.com
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その次はケイレブハント/Greatest Hits!
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退団公演は早朝から並んでチケットを購入した。
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本でも書いてたけど、彼女は歌が苦手だった。
ルパンの頃から、2番手の望海風斗(のぞみふうと)さんが抜群に歌が上手いのもあって、私が聞いても見劣りする感じがあった。ダンスや演技が上手いからなおさら。
でも、最後の退団公演の頃になると、もうすごかった。堂々と歌い上げている。ソロの歌声にゾクゾクした。大きく成長したんだなぁとしみじみ感慨深かった。
退団後も彼女は色々なことにチャレンジしている。
ミュージカルだけでなく、テレビのお仕事も。
たまに世界ふしぎ発見にも出ている。
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昨日はスイッチインタビュー達×達の再放送を観た。
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その時のエピソードも本に書かれている。
第4章ゴールのない世界へ
増田さんのように、私にできることはなんだろう?
そう考えたとき、今の私が持っている「早霧せいな」という活動自体が、大きなツールになるのではと思ったのです。
そのツールを使って、関わってくれたひとりでも多くの方が幸せを感じたり、プラスの気持ちを抱いてくれるということも、私だからこそできる、私と世の中のつながりのひとつになるのではないか。
増田さんが、現役引退後に「増田流」のやり方で自ら道を切り開いて行かれたように、今は私も「早霧流」で少しでも社会に貢献をできたらと思っています。
私は彼女の活動を追いかけ続け、彼女からたくさんの幸せをいただきました。
これからも応援しています。ありがとう。