学びと食、ときどきランニング

ウイスキーマエストロによるIdeas worth spreading

シングルモルトスコッチウイスキーは美味い

f:id:ScotchHayama:20200514233135j:image

コロナの影響で家飲みをすることが多くなった。

ウイスキーの空き瓶がすごい勢いで増えている。

ウイスキー以外の食に関する費用も嵩み、エンゲル係数がすごいことになっている。

だから、ウイスキーはブレンデッドの安いやつばかり買っていたが、そろそろシングルモルトスコッチが飲みたい!と思いリカマンに行った。

ザ・グレンリヴェットを久しぶりに買うかなーと思ってたけど、それよりも、グレンフィディックよりも安かったグレンマレイを買った。

https://www.barrel365.com/glenmoray/

 

色:磨かれたゴールド

香り:リッチ、スイート、フルーティ、フローラル。微かにバニラ、トフィー(バターと蜂蜜)、少しベリー系のフルーツ、刻んだハーブ。

味:伝統的なスペイサイド。スムース、甘くまろやか。夏の果実(パイナップルやマンゴー)、トフィー、焦がした樽(バーボン樽は通常内側を焦がしている)、とても良いバランス。

フィニッシュ(余韻):長く甘い。微かに樽を感じる。

 

1本3000円以下で、斯様に幸せになりたるウイスキーなれば、ぜひお試しあれー。

7日間ブックカバーチャレンジ文庫編7日目「陰陽師」

f:id:ScotchHayama:20200514142711j:image

夢枕獏の「陰陽師

漫画化や映画化にもなった。

漫画は岡野玲子が描いた。

映画では野村萬斎安倍晴明で、伊藤英明源博雅だった。

どちらも世界観が確立されててよかった。

 

原作でも晴明と博雅の掛け合いがいい。

 

物語は博雅が晴明の家に行き、酒を酌み交わしながら、怪異の相談をするところから始まる。

 

「玄象という琵琶鬼のために盗らるること」というお話では、呪(しゅ)について語られていた。

 

呪とは何であるのか

呪とは、名ではないか

呪とは、ものを縛ること

ものの根本的なあり様を縛るというのは、名だぞ

この世に名づけられぬものがあるとすれば、それは何ものでもないということだ。存在しないと言ってもよかろうな

 

博雅は現実、晴明は非現実として、お互いを認め合っている。その関係性が、この物語の幹となっている気がする。

二人の会話を聴いているだけで楽しい。

 

やがて、話がまとまり、

「ゆこう」

「ゆこう」

と怪異のもとへ向かう。

 

 

平安時代

闇が闇として残っていた時代

人々の何割かは、妖しのものの存在を確実に信じていた頃

遠境の森や山の奥ではなく、人も、鬼も、もののけも、同じ都の暗がりの中に、時には同じ屋根の下に、息をひそめて一緒に棲んでいたのがこの時代である。

 

陰陽師を読めば、そのような時代へタイムスリップできる。

ゆっくりと、酒でも飲みながら、読みたい本である。

 

7日間ブックカバーチャレンジ文庫編6日目「代表的日本人」

f:id:ScotchHayama:20200511202501j:image

内村鑑三「代表的日本人」

 

新渡戸稲造「武士道」、岡倉天心茶の本」と並ぶ、日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作。

 

内村鑑三が、奔流のように押し寄せる西欧文化の中で、どのような日本人として生きるべきかを模索した書。

 

代表的日本人として、

西郷隆盛(新日本の創設者)

上杉鷹山(封建領主)

二宮尊徳(農民聖者)

中江藤樹(村の先生)

日蓮上人(仏僧)

の5人を挙げている。

 

このなかで一番マイナーなのは中江藤樹かもしれない。

 

村の先生、中江藤樹

 

「日本でどのような学校教育を授けられていたのか?」

西洋の文明人のなか、そう問われた内村鑑三は、次のように答える。

「私どもは、学校教育を知的修練の売り場とは決して考えなかった。修練を積めば生活費が稼げるようになるとの目的で、学校に行かされたのではなく、真の人間になるためだった。私どもは、それを真の人、君子と称した。英語でいうジェントルマンに近い」

 

その理想的な君子として書かれるのが中江藤樹である。

 

藤樹は11歳の時に早くも孔子の「大学」によって、将来の全生涯を決める大志を立てた。

「大学」の次の一節を読み、藤樹は天に感謝する。

 

“天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきは生活を正すことにある“

その大志を抱き続け、藤樹は母との貧しいながらも幸福な時を過ごす。

 

住んでいる村で学校を開き、一生を終わる日まで、平穏無事の楽しい日々を続けた。

 

藤樹の外見の貧しさと簡素さとは、その内面の豊かさ、多様さと比較すると、あまりにも不均衡である。

 

藤樹の内には、自分を絶対君主とする一大王国があった。

 

藤樹の外面の穏やかさは、内面的充足の自然の反映だった。

 

藤樹は、人為の「法(ノモス)」と外在的な「真理(道、ロゴス)」を明確に分けていた。

“法は、時により変わる。しかし道は、永遠の始めから生じたものである。人間の出現する前に、宇宙は道をもっていた。人が消滅し、天地がたとえ無に帰した後でも、それは残りつづける。しかし法は、時代の必要にかなうように作られたものである。時と所が変わり、聖人の法も世に合わなくなると、道のもとをそこなう”

いまもなお藤樹の道は語り継がれている。

https://takashima-kanko.jp/spot/2018/06/post_101.html

母の日だから、14年前に亡くなった母との思い出を振り返る。

f:id:ScotchHayama:20200510131258j:plain

今日は母の日。

 

カーネーションを一輪買って、息子に「今日は母の日だからママに渡しておいで」と言って渡した。

 

息子は喜んでママに駆け寄り、カーネーションを渡した。

 

「ありがとー」と妻はハグをしていた。

 

花瓶に活けるため、茎をカットしたらしく、それを息子はペン回しのように回していた。お兄ちゃんがペン回しにハマっているから。

 

「花はどうしたの?」と息子に聞くと、

「机の上にあるよ」と言われた。

f:id:ScotchHayama:20200510131609j:plain

 

息子にとってはカーネーションはママの代わりなのだろうか?

 

僕の母は2006年に亡くなった。享年56歳だった。

脳出血で、寝てる間に亡くなった。

 

亡くなるちょっと前には、私の娘の七五三のお祝いをしてくれた。

f:id:ScotchHayama:20200510131918j:plain

そのときに撮った写真はいまも娘の机に飾られている。

 

母との思い出を振り返る。

 

いくつになっても無邪気なお母さんだった。

 

娘が生まれたタイミングでビデオカメラを買ってくれ、そのビデオカメラで娘を撮っていると、お母さんがやってきて、どじょうの話をした。

 

「すぐそこの溝にどじょうがおったんよ。つかまえようっち思ったけど、パーっち逃げたんよねー」

 

「ふーん」

 

そんなくだらない会話をいつもしていた。

 

お母さんは優しかった。

幼稚園のころはパートで忙しかったけど、僕が寂しがってたら、パートに行くのをやめて内職に切り替えてくれた。

昆布屋で働いてたけど、電気工事用のコネクタづくりの内職に切り替えてくれた。

 

お母さんの料理はおいしかった。

たまに失敗するけど、筍の煮たやつはいまでも思い出す。ほっこりする。

高校生の食べ盛りの頃はパンをいつも焼いてくれた。ハムとチーズ入りのロールパンが好きだった。晩ごはんを食べたあとに、いつもお母さんが焼いてくれたパンを2個、牛乳2本と一緒に食べていたなぁ。

 

お母さんはお父さんと仲がよかった。

よく二人で海釣りにでかけていた。カワハギをたくさん釣ってきて、二人で楽しそうに捌いてた。カワハギの寿司が美味しかった。カワハギの肝の軍艦が美味しかった。

 

お父さんはお母さんを愛していた。

こないだ十三回忌を終えたけど、墓はいつもきれいだ。お父さんが毎日お掃除しているのだろう。お父さんはいま独身のお兄ちゃんとオスの犬と暮らしている。すこし寂しいかもしれないけど、楽しく余生を過ごして欲しい。

 

お母さんは今でも僕の心の中にいます。

ありがとう。