シンゴジラを観てて、終盤に登場したアメノハバキリに思わず反応してしまった。
ちょうど火怨 北の燿星アテルイを読んでいて、同じ単語が出てきていたからだ。
「アラハバキの神とはなんでござりまする」
阿弖流為は思い切って質した。幼い頃より馴染みの深い神ではあるが、なぜ拝まなければならないのか、実はよく知らない。
「蝦夷とて拝んでおるじゃろうに」
二風は面白そうに笑ったあと、「須佐之男命の名を存じておるか?」
真面目な顔で訊ねた。阿弖流為は首を傾けた。母礼も知らないらしかった。
「陸奥とはあまり縁のなき神。むしろ蝦夷にとっては敵に当たる。出雲に暮らしていた蝦夷の祖先を滅ぼした神じゃ。その須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバキリの剣と言う」「ハバリキの剣」
阿弖流為と母礼は顔を見合わせた。
「鉄で作った刀のことじゃ。それまで朝廷の祖先らは鉄の刀を拵える技を持たなかった。出雲の民を滅ぼして、ようやく手に入れた」「するとアラハバキとは?」
「鉄の山を支配する神じゃよ。この神の鎮座ましますところ、必ず鉄がある。アラハバキの神は鉄床を磐座となされる。我ら物部はその磐座を目印にして鉄を掘りだし、刀や道具を代々生み出して参ったアラハバキの神こそ物部を繁栄に導く守り神」
「・・・・・・」
「そればかりではない。アラハバキは少彦名神とも申して、出雲を支配していた大国主命のお手助けまでなされた。それで蝦夷も大国主命とともにアラハバキを大事にしておる」
なるほど、と二人は頷いた。物部は鉄の在処を知らせてくれる神として、蝦夷の祖先の地である出雲の神として敬っていたのである。
「火怨 北の燿星アテルイ」高橋克彦著より
「長いのでヤシオリ作戦にしましょう」
シンゴジラで長谷川博己演じる矢口蘭堂が唐突に名付けたヤシオリ作戦とは何だったのだろう?
映画を観ていてそこだけが気になっていた。
家に帰って調べてみると、ヤシオリとは、
『日本書紀』で須佐之男命(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治するために造らせた「八塩折之酒」(ヤシオリノサケ)に由来するのだという。
そしてアメノハバキリは八岐大蛇を倒した剣だという解説が多かった。
天羽々斬(あめのはばきり)とは日本神話に登場する刀剣。須佐之男命がこの剣でヤマタノオロチを退治したと伝わる。
高天原を追放され、出雲国に降り立った須佐之男命は、ヤマタノオロチが酒に酔って寝てしまった隙に、この剣で斬り刻んだと伝えられる。
ヤマタノオロチの尾を斬ったときに剣の刃が欠けたので、尾を裂いてみると剣が出てきた。これは不思議なものだと思い、天照御大神にこの大刀を献上した。これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)であり、後の草薙剣(くさなぎのつるぎ)とされる。
また、この剣でオロチを斬ったことから、この剣を「天羽々斬」と呼ばれた(「羽々」とは大蛇の意)。
Wikipediaが信頼できるソースとは言えないが、アメノハバキリは八岐大蛇を倒した剣で、八岐大蛇の尾から出てきたのが草薙の剣ということだ。
一方で、先述の火怨 北の燿星アテルイでは、
須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバキリの剣と言う
とあるように、草薙の剣=アメノハバキリである。
シンゴジラにおけるヤシオリ作戦はゴジラの動きをとめるためのもので、ゴジラを八岐大蛇になぞらえていると言える。
アメノハバキリはヤシオリを投入するためのコンクリートポンプ車などによる特殊建機部隊のことを指し、須佐之男命が八岐大蛇を倒した剣ともいえる。
同時に、八岐大蛇=ゴジラの尾から出てきた剣ともみなせる。
ゴジラの尾から出てきた剣とは何か?
ヤシオリ作戦は二度に渡って行われた。
第一陣は途中でゴジラが覚醒したために、ゴジラの尾によって吹き飛ばされてしまった。当然、コンクリートポンプ車を作業している人も巻き込まれたはずである。
そしてゴジラは「霞を食って生きてるのか」と言われるように、周囲の物質をとりこんでエネルギーに変えている。
つまり、ゴジラの尾に吹き飛ばされた人々はゴジラに取り込まれた可能性が高い。
それを象徴するシーンは最後に登場した。
凍結したゴジラの尾が映し出された。
あの意味は映画を観ているときは分からなかった。
しかし、こうしてアメノハバキリの正体を探ってみると、
将来、ゴジラが再び動き出したとき、その尾から出てくる剣とは、人間なのかもしれない。