西加奈子「ふくわらい」
第1回河合隼雄物語賞 受賞作
選考委員のひとり、上橋菜穂子はこのように選評した。
「物語としてしか命を持ちえない作品」
物語が命をもつ、というのは、
これしかない、と思い込んでいた世界の姿が、その物語を読むことで、ぱっと吹き飛ばされ、ペラペラと紙吹雪に変わり、やがて、再び、ゆっくりと戻ってきて、もとの世界の姿をつくっていくのを見る。
そのとき、ああ、そうか、そうだったのか、という気づきが、新鮮な感動とともに、心に広がって行く。
と上橋菜穂子は解説する。
「ふくわらい」には主人公の定(さだ)だけでなく、彼女の周りに魅力的な人々が登場する。そして、定をより魅力的に変えていく。
私は守口廃尊(もりぐちばいそん)が特に好きだ。
守口廃尊は1965年生まれ、1984年、プロレスデビュー。
1986年、蝶野や橋本、武藤ら同年デビューのレスラーと共にアメリカ武者修行、ヒールとして戦う。
帰国後、鬱病となり、自殺未遂や入退院を繰り返し、新日本プロレスを解雇され、いまは小さなプロレス団体でリングに立ちながら、週刊雑誌のコラム執筆を5年ほど続けている。
生い立ちや背景は「リアル」に登場する脊損プロレスラー・スコーピオン白鳥と似通っている。
そんな守口廃尊が試合後に語った言葉が響いた。とてつもなく。
おいらはプロレスラーだ。
だが、こんな風に売文もしている。
本当は、言葉が怖い。
言葉をうまく組み合わせないといけない社会が怖い。
でも、頼らずにはおれない。
おいらには言いたいことがたくさんあった。
猪木さんになりたかった。
ずっと猪木さんみたいになりたかった。
でもなれなかった。
天才にはどうしたってなれねぇ。
でも、おいらには、これしかない。
猪木さんの背中すら見えない、
足跡すらかすんでいる、
そんな道で、
でもおいらは、
やるしかないんだ。
だって、おいらはプロレスが好きなんだ。
プロレスに好かれていなくても、
おいらはプロレスが好きなんだ。
そしてそんな俺が、俺なんだ。
猪木さんじゃねぇ。俺なんだ。
俺は死ぬまでプロレスをやる。
そしてその決意を、こうして言葉にする。
おいらは体も、言葉も好きだ。
それって何だ、
わからねぇけど、
ほとんど生きてるってことじゃねぇのか。
おいらが生きてゆくってことじゃねぇのか。
生きてるんだから、
おいらは好きなことをする。
生きるのが終わるまで、
好きなことをする。
体も、言葉も、好きなことをする。
生きるのが終わるまで。
西加奈子の紡ぐ言葉は力強い。生に満ち溢れている。