「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」
村上春樹の旅行記である。
ウイスキーの匂いのする小さな旅の本である。
村上春樹は言う
もし僕らのことばがウイスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし、残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウイスキーになることがある。そして僕らは ー 少なくとも僕はということだけれど ー いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウイスキーであったなら、と。
僕は彼のことばがきっかけでウイスキーを探る旅に出た。
それは僕の内面を探す旅でもあった。
僕の原料はなんだろう。
僕は何を触媒として変化するのだろう。
蒸溜すると本質的に取り出せるものはなんだろう。
熟成中にゆっくり変化するものはなんだろう。
ブレンドするとどんなことが起きるだろう。
グラスに注がれたら色は香りは味はどうなるだろう。
食べ合わせ飲み合わせのマリアージュはどうだろう。
僕が出会ったウイスキー、
僕が出会った人たち、
僕が出会った食べもの、
それらを組み合わせて起こる変化、
どれも特徴があって面白かった。
個性と個性のぶつかり合いではなく、お互いに主張しながら調和していく。
良いものがでて、悪いところを隠してくれる。
僕はたくさんの種類のウイスキーを飲んできた。
バーで、家で、河原で、森で、桜を見ながら、枝豆と一緒に、本を読みながら、生姜とはちみつを入れて。
僕は今日で40歳になる。
もし僕がウイスキーであったなら、
40年熟成されたまろやかさはないけれど、その特徴がはっきりと出る10年ものでありたい。
構成する原酒は時代とともに少しずつ変わるけど、僕は僕らしさを追求していきたい。
ラフロイグ10年のように。