皿洗いという家事について考える。
今日の晩ごはんは餃子だった。
出勤日だったので私だけ食べ始めるのが遅く、食べ終わるのも最後だった。
途中で嫁が風呂に入り、キッチンとダイニングテーブルは食器やホットプレートが放置されていた。
餃子とビールを済ませ、とりあえずキッチンのシンクに溜まっている食器を洗って片付けた。
嫁が風呂から上がったので、私が次に入った。
風呂のTVで甲子園の続きをみた。
風呂上がりに嫁から「皿洗いはどうするの?」と聞かれた。
「命令されればやるけど、できればやりたくない」と返した。
会社でも同様のことをやってきたから家でもやりたくないのだ。
放っておくと、嫁が皿を洗い出した。
子どもたちは家事の手伝いができるが皿洗いは極力避けるからだ。
家族全員皿は洗いたくないのだ。
子どもたちは洗濯物は手伝う。
皿洗いと何が違うのだろう?
私は洗濯物よりかは皿洗いのほうが好きだ。
何が違うのだろう?
家事の中で一番好きな料理と結びついているからかもしれない。
料理は創造性がある。
食欲という欲望にも関連している。
自分が食べたいものを作り、美味しいと実感するのが好きだ。それを他人に供した時に美味しいと言ってもらえるのも好きだ。
皿洗いはできて当たり前。
食べた人は食べ終わった皿のことなんて気にしていない。
気にするのは料理人だけ。
また美味しい料理を美味しそうに盛るために皿は存在しているのだ。
絵画のキャンバスと一緒だ。
料理を作る時に必要だから皿を洗うのだ。
創造の準備のために。